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● 世界遺産に迫る

2007年に、世界遺産暫定リストに登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のうち、3つの教会と5つの関連遺産が長崎市にあります。また、2008年12月、長崎市の4つの遺構を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が世界遺産暫定リスト登録されました。これらの多くは、安政の開港を機に生まれたものです。

「九州・山口の近代化産業遺産群」

 「九州・山口の近代化産業遺産群」は、日本の近代化に寄与したといわれる産業遺産の総称です。日本は幕末から明治期にかけて、西洋の技術や知識を幅広く吸収し、類まれなスピードで工業化・近代化を進めてきました。その中心が、九州・山口だったのです。西洋以外の地域で、はじめて近代化に取り組み、きわめて短期間のうちに成し遂げたという点で世界的な価値を持つ近代化産業遺産群の物語を振り返ります。

端島(軍艦島)

 海底炭採炭の基地として周囲を埋め立てた人工島。1810年頃石炭が発見され、肥前(佐賀)藩が小規模の採炭を行います。明治23年(1890)から三菱の所有となり、本格的海底炭鉱として操業を開始。隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱のひとつでした。最盛期には、鉄筋の高層アパートなど様々な施設が林立。5千人を超す人たちが生活しており、世界一の人口密度でした。昭和49年(1974)に閉山し、現在は無人島です。2009年春、いよいよ端島への上陸を開始する予定です。

▲ 明治34年(1901)の端島
     

北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)

 日本最初の洋式炭坑の坑口。長崎港に入る外国蒸気船の燃料として高まった石炭需要を受け、慶応4年(1868)、肥前(佐賀)藩とトーマス・ブレイク・グラバーが共同開発を始めました。翌年、イギリス人技師・モーリスを招き、日本最初の蒸気機関による洋式炭坑として出炭開始。当時は1日に300トンを出炭し、明治9年(1876)まで稼動していました。市指定史跡。
   
     

旧グラバー住宅

 英国人貿易商トーマス・ブレイク・グラバーの住居として、文久3年(1863)に主屋を建設。現存する日本最古の木造洋風建築で、上から見た屋根の形が四つ葉のクローバー型なのが特徴的です。グラバーは、ここを拠点に幕末期、薩長両藩などを支援していました。現在、グラバーや妻・ツルなどの写真、グラバー愛用のステッキなどが展示され、一般公開されています。国指定重要文化財。
 
     

小菅修船場(ソロバンドック)

 船の修理や造船を目的に薩摩藩とトーマス・ブレイク・グラバーが建設した日本初の洋式の近代的ドックです。滑り台(台車)の様子が“ソロバン”に似ていることから通称「ソロバンドック」。薩摩藩士の五代友厚や小松帯刀らが計画して、グラバーがイギリスから機械装置を輸入し、明治元年(1868)に完成。船を滑り台に乗せ、巻揚機小屋内に設置された蒸気機関により引き揚げていました。巻揚機小屋は、現存する日本最古の煉瓦造り建築といわれています。国指定史跡。
 
     
 

 

◇長崎の教会群とキリスト教関連遺産

天文18年(1549)、フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられたキリスト教。長崎は「日本の小ローマ」と呼ばれるほどキリシタン文化が栄えました。しかし、その後キリシタンへの弾圧が激しくなり、教会は破壊され、信徒たちは潜伏しながら教えを守りとおします。そして慶応元年(1865)、外国人神父との奇跡的な出会いにより信仰を表明。今も残る教会とキリスト教関連遺産が長崎におけるキリシタンの歴史を語ります。

大浦天主堂

 西坂の丘で殉教した二十六聖人に捧げるため、元治2年(1865)に献堂されました。厳しいキリシタン禁制のもと、約250年信仰を守り伝えてきた浦上キリシタンが、プチジャン神父に信仰を告白した「信徒発見」の舞台として世界に名高い。現存する日本最古の教会で、教会建築としては唯一国宝に指定されています。
 
     

旧羅典神学校 (きゅうらてんしんがっこう)

 明治6年(1873)、キリスト教禁教令の廃止を契機に、プチジャン神父は神学校の設立を計画。明治8年(1875)に完成しました。白壁と黒い柱のコントラストが美しい木造煉瓦造の建物は、独創的なアイデアと堅牢さを誇るド・ロ神父の設計・施工によるものです。国指定重要文化財。
   
     

日本二十六聖人殉教地

 豊臣秀吉のバテレン追放令により、慶長元年12月19日(1597年2月5日)、フランシスコ会の宣教師6人と日本人信徒20人が大阪や京都などで捕えられ、処刑された丘で、26人が昇天する様子が描かれている記念碑があります。この地は、ローマ教皇がカトリック教徒の公式巡礼地と定められています。
   
     

サント・ドミンゴ教会跡

 慶長14年(1609)、長崎代官・村山等安が寄進した土地に建設されたドミニコ会の教会跡。薩摩にあった教会を現在の場所に移築したものでしたが、キリスト教禁教令によってわずか5年で破壊されました。ここでは当時の石畳、排水溝などの江戸時代初期の遺構がそのままの状態で保存されています。
   
     

出津教会 (しつきょうかい)

 明治15(1882)年、ド・ロ神父の設計・指導により建てられた教会。2度の改修を経て、現在の形に整えられました。外壁は煉瓦造り、内部は木造、屋根は瓦葺き。強風にも耐えるよう低い造りになっています。県指定有形文化財。
   
     

ド・ロ神父遺跡

 慶応4年(1868)、プチジャン神父とともに長崎へやってきたド・ロ神父は、明治12年(1879)、主任司祭として外海に赴任し、33年間を外海の人々のために捧げました。施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じ、ド・ロ神父の偉業は、農業、社会福祉、建築、医療など多岐に渡りました。「ド・ロ様」と慕われ、その遺品は、記念館でその愛の精神を伝えています。県指定史跡。
   
     

旧出津救助院

 明治16年(1883)、ド・ロ神父が外海の住民を窮状から救うために創設しました。授産場、マカロニ工場、鰯網工場などで構成され、建物には随所に西洋式の技術が採用されています。ここで織物・染物の作り方やマカロニ・そうめん製造などの技術を教えました。独自の工法で築いた「ド・ロ壁」も必見。国指定重要文化財。
   
※改修中のため中に入れません。    

 

大野教会

 明治26年(1893)、大野地区26戸の信者のために建てられた出津教会の巡回教会。自然石を用いた「ド・ロ壁」と呼ばれるド・ロ神父独特の工法により建てられました。入口側正面にある風よけの独立した壁が強風に耐え、素朴で風土に密着した建物です。県指定有形文化財。
   
     

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を訪ねるまち歩きもお楽しみください。

 

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